東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)183号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の特許請求の範囲)、三(第一次補正却下決定の理由の要点)及び四(第二次補正却下決定の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の各決定の取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いない甲第三号証(当初明細書)によれば、本願発明は、人体の嫌な臭いの抑制に使用するための脱臭洗浄剤製品に関するものであつて(第一頁第一一行及び第一二行)、皮膚細菌群の成長を防止し悪臭物質の生成を抑制するため脱臭洗浄剤製品に殺菌剤を配合することが行われるが、おそらく細菌の増殖と関係のない皮膚上の悪臭発生の他の原因が存在するために、殺菌剤の配合は問題を完全に解決するものではなく(第二頁第一行ないし第九行)、殺菌剤以外の物質の特定の組合わせ(これを、本願発明は「脱臭組成物」と称する。)を沐浴用の洗剤製品あるいは繊維洗剤製品に配合することが、通常の殺菌剤の使用よりも皮膚上の悪臭発生の抑制により有効な手段である(第二頁第一〇行ないし第二〇行)との知見に基づいて、非―石けん洗浄性活性化合物及び所定の脱臭値を有する脱臭組成物を含む脱臭洗浄剤製品を得ることを目的とするものであると認められる(第三頁第四行ないし第七行)。
2 第一次補正について
第一次補正のうち、補正点bが当初明細書の要旨を変更するものではないことは、第一次補正却下決定も認めるところである(なお、補正点aのうち、脱臭組成物をモルホリン試験によつて特定する点が当初明細書に記載されていた事項の範囲内においてなされた補正であることは、当事者間に争いがないと考えられる。)。
第一次補正のうち、補正点aについて、原告は「脱臭値試験の結果を脱臭洗浄剤製品全体の評価手段とすること(以下「補正点a」というときは、この点のみを指す。)は、当初明細書に記載されていた事項の範囲内である」と主張する。
しかしながら、前掲甲第三号証によれば、当初明細書の特許請求の範囲には「脱臭値試験で測定して〇・五〇ないし三・五の脱臭値を有する(中略)脱臭組成物」(第一頁第六行ないし第八行)と明記され、第三頁第一九行ないし第四頁第一行には「体臭がそれによつて低減されるべき平均量は洗浄性製品中に含まれる脱臭組成物の脱臭値によつて表される」との知見が明らかにされ、かつ、第四頁第六行ないし第七頁第一三行に記載されている脱臭値試験の説明も、専ら脱臭組成物についてなされていることが明らかであつて、当初明細書には、非―石けん洗浄性活性化合物と脱臭性組成物から得られる脱臭洗浄剤製品そのものの性状を脱臭値試験の結果によつて特定するとの技術的思想は全く開示されておらず、また、そのような技術的思想が当初明細書の記載から自明の事項であるということもできない。
この点について、原告は、「脱臭洗浄剤製品全体の脱臭性能は、ほとんど脱臭組成物に依存する」と主張するが、前掲甲第三号証によれば、例えば、当初明細書の第五三頁第一八行以下に記載されている実施例7、及び、第五四頁第一八行以下に記載されている実施例9は、脱臭組成物として共に脱臭組成物3(第四七頁第一二行以下)を使用した実施例であるが、非―石けん洗浄性活性化合物としてNSD織物洗濯用液剤C(ただし、当初明細書には「織物洗濯用液剤C」は記載されておらず、右は、「織物洗濯用液剤A」(第三六頁第八行以下)、あるいは「織物洗濯用液剤B」(同頁第一八行以下)の誤記と考えられる。)を使用した実施例7の臭減少値が〇・五〇であるのに対し、非―石けん洗浄性活性化合物としてNSD織物洗濯用粉剤F(第三五頁第一二行以下)を使用した実施例9の臭減少値は一・〇六であつて、脱臭洗浄剤製品全体の脱臭性能が、使用される非―石けん洗浄性活性化合物にも大きく依存することが明らかである(付言するに、右は最終製品としての脱臭洗浄剤製品の性状をどのように限定するかの問題であるから、これを実際に使用した場合に濯ぎによつて非―石けん洗浄性活性化合物がどの程度流失するかは、かかわりのない事項である。)。したがつて、「脱臭値試験で測定して〇・五〇ないし三・五の脱臭値を有する」との限定の対象を、補正点aによつて脱臭組成物から脱臭洗浄剤製品に変更すると、〇・五〇未満の脱臭値しか有せず当初明細書に記載されていない脱臭組成物を用いても、非―石けん洗浄性活性化合物を適宜に選択すれば、補正後の発明の要旨を満足する脱臭洗浄剤製品に含まれる場合があり得るから、補正点aは当初明細書の要旨を変更するものといわざるを得ない。
ちなみに、原告は、補正点aが当初明細書に記載されている事項の範囲内であることの根拠として、当初明細書の第四〇頁第一六行ないし第一八行、及び、第四一頁第三行及び第四行の記載を援用するが、これらの記載は、脱臭洗浄剤製品が脱臭試験に類似する試験によつて評価されることを開示するものとはいえても、脱臭洗浄剤製品の脱臭値ないし臭減少値が「〇・五〇ないし三・五」の範囲であるべきことまでを示唆するものとは到底いえない。
なお、第一次補正のうち補正点cも当初明細書の要旨を変更するものであることは、左記3において判断するとおりである。
3 第二次補正について
第二次補正について、原告は、「当初明細書に記載されていた脱臭組成物の組成を変更しない以上、脱臭組成物を組成する香料化合物の性質を明らかにすることによつて、当初明細書の要旨が変更される理由はない」と主張する(なお、補正点dのうち、脱臭組成物をモルホリン試験によつて特定する点が当初明細書に記載されていた事項の範囲内においてなされた補正であることは、当事者間に争いがないと考えられる。以下「第二次補正」というときは、この点を除く。)。
しかしながら、前掲甲第三号証によれば、当初明細書は、脱臭組成物については、特許請求の範囲において「脱臭値試験で測定して〇・五〇ないし三・五の脱臭値を有す」べきものとし、発明の詳細な説明において「脱臭組成物の処方に対して要求される必須物質は「モルホリン試験」と称される下記の試験で測定してラウール(Raoult)の法則によつて要求されるものより少なくとも一〇%以上モルホリンの蒸気分圧を低下させる物質である」(第一四頁第一三行ないし第一八行)と記載しているほかは、実施例として脱臭組成物1(第四三頁第一二行以下)、脱臭組成物2(第四五頁第一三行以下)、脱臭組成物3(第四七頁第一二行以下)、脱臭組成物4(第四八頁第二〇行以下)、脱臭組成物5(第五一頁第七行以下)、及び脱臭組成物6(第五二頁第一七行以下)の処方を例示し、かつ、第五五頁第八行以下において各脱臭組成物の脱臭値の測定結果を記載しているにとどまることが認められる。そうすると、第二次補正のうち、脱臭組成物を組成する香料化合物をモルホリン試験の結果によつて「成分」と「配合剤」に区分し、かつ、各「成分」のLIC、RVR及びmを記載する点は、当初明細書に記載されている事項の範囲内とみることも可能であるが、第二次補正の核心である、「成分」を更に六つのクラスに区分した上、脱臭組成物を組成する「成分」は六つのクラスから特定の基準に従つてのみ選択されるべきであるとの技術的思想は、当初明細書には全く開示されておらず、また、そのような技術的思想が当初明細書の記載から自明の事項であると考える余地がないことも明らかである。
この点について、原告は、「目的とする作用効果を達成するための具体的な実施態様がすべて示されているがそれらを包括する基準が広範にすぎたとき、より的確に限定した基準に補正することは、それによつて多くの可能性が排除されるのであるから、特許請求の範囲を拡張するものではない」と主張する。しかしながら、第二次補正によつて設定された新たな基準に従つて選択され得る香料化合物の範囲が、結果として、当初明細書に記載されているものより狭くなるとしても、極めて概括的な基準を設定するほかは、実施例として具体的な脱臭組成物の処方を羅列するのみの当初明細書記載の技術内容と、脱臭組成物を組成する香料化合物のうちの「成分」を細密に六つのクラスに区分した上、脱臭組成物を組成する「成分」は六つのクラスから特定の基準に従つてのみ選択されるべきであるとの第二次補正の技術内容は、本願発明のように多くの既知の香料化合物から数種類を選択しそれぞれ適宜の量で組み合わせて所望の芳香を得ようとする技術分野においては(右組合わせが極めて多数に上ることは明らかである。)、技術思想として別個のものであつて、前者を後者に改めることは明細書の要旨を変更するものと考えざるを得ないから、原告の右主張は採用することができない。
したがつて、第二次補正も、当初明細書の要旨を変更するものである。
4 以上のとおりであるから、第一次補正及び第二次補正はいずれも当初明細書の要旨を変更するものであり却下すべきものであるとした第一次補正却下決定及び第二次補正却下決定の認定判断は正当であつて、各補正却下決定に原告主張の違法はない。
三 よつて、第一次補正却下決定及び第二次補正却下決定の違法を理由にそれぞれの取消しを求める原告の本訴請求はいずれも失当であるからこれらを棄却することとする。
〔編注〕本願発明の特許請求の範囲は左のとおりである。
1 願書に最初に添付した明細書(以下「当初明細書」という。)に記載されている特許請求の範囲
〇・五ないし九九・九九重量%の非―石けん洗浄性活性化合物、及び、脱臭値試験で測定して〇・五〇ないし三・五の脱臭値を有する〇・〇一ないし一〇重量%の脱臭組成物を含むことを特徴とする脱臭洗浄剤製品。
2 第一次補正後の特許請求の範囲
<1> 非石けん性洗浄性活性化合物五~九五重量%;および
<2> モルホリン試験で測定して、ラウールの法則により要求されるより少なくとも一〇%だけ多くモルホリンの蒸気分圧を抑制する物質を本質的材料として含む脱臭剤組成物〇・〇一~一〇重量%からなる脱臭洗浄剤組成物であつて、この組成物全体として改良したホワイトハウス/カーター試験で測定して〇・五〇~三・五の脱臭値を有することを特徴とする脱臭洗浄剤組成物。
3 第二次補正後の特許請求の範囲
<1> 五~九五重量%の非―石けん洗浄活性化合物、
<2> モルホリン試験を満たし、六クラスに分類される成分を含む香料配合物から成る脱臭性組成物〇・〇一~一〇重量%
(前記の六クラスは:
クラス1:フエノール性物質
クラス2:精油、抽出油、樹脂および合成油
クラス3:アルデヒドおよびケトン
クラス4:多環式化合物
クラス5:エステル
クラス6:アルコール
から成るものであり、(但し、ある成分が二種またはそれ以上のクラスに分類できる場合は、低い方の番号のクラスまたは最低番号のクラスに入れるものとする)、かつ、前記の成分は下記の条件を満たすように選ばれるものである:
(イ) 前記の脱臭性組成物が少なくとも五種の成分を含み、そのうちの少なくとも一種がクラス1、クラス2およびクラス4の各々から選ばれなければならず:
(ロ) 前記の脱臭性組成物が、前記の六クラスのうちの少なくとも四種類からの成分を含み、そして、
(ハ) 前記の香料の〇・五重量%未満の濃度で、前記の脱臭性組成物中に存在する任意の成分は、(イ)および(ロ)の条件から除外するものとする)および、
<3> 残余量を構成する、他の洗剤添加剤を含み、ホワイトハウスおよびカーターの改良試験法で測定して〇・五〇~三・五の脱臭値を有することを特徴とする脱臭性の織物洗濯用または個人洗浄用洗剤生成物。
(注・右のとおり、成分である香料を、当初明細書は「脱臭組成物」、第一次補正は「脱臭剤組成物」、第二次補正は「脱臭性組成物」と称しているので、混乱を避けるため、以下、成分である香料は「脱臭組成物」ということにする。また、最終製品を、当初明細書は「脱臭洗浄剤製品」、第一次補正は「脱臭洗浄剤組成物」、第二次補正は「洗剤生成物」と称しているので、同じく混乱を避けるため、以下、最終製品は「脱臭洗浄剤製品」ということにする。)